第7話 『してあげる……』

放課後、綾瀬裕人の携帯電話に乃木坂美香からメールが入った。
『ひまひまなおに〜さんに朗報! 地図の場所まで一人で来て来て〜』
と明らかに手書きと思われる地図が添付されていた。その地図の通り道を歩いてくと、そこに秘密の花園が――もとい、私立双葉女学院があった。いわゆる、おしとやかなお嬢様たちが集う女子校だった。
これから下校しようとする少女たちが、華やいだ笑顔できゃっきゃウフフと声をあげている。
そんな様子を前にして、裕人は茫然と、明らかに場違いなものを感じていた。
そのうちにも、少女たちが裕人を遠巻きにしてひそひそとし始めた。
まずい。俺、不審者だ。
女子校の中に立ち入って行くわけにはいかないし、このまま立っていても怪しさ大爆発だし、でも美香から呼び出しが掛かっているし。どうすりゃいいんだ……。
「あの、綾瀬裕人さんですか?」
そんなふうにまごついていると、目の前に女の子がやってきた。
「え? ああ、はい」
ほとんどすがるような思いで、返事を返す。
女の子は長い黒髪を背中に垂らし、いかにもしとやかそうな佇まいを漂わせていた。女の子の後ろに、2人の女の子が背中に隠れるようにして裕人を見ていた。
「私、乃木坂美夏さんのクラスメートで、塔ヶ崎エリといいます」
軽く微笑んで、会釈する程度に頭を下げた。
「初瀬光でーす」
「藤ノ宮美羽です」
後ろの女の子が順番に自己紹介した。
「それでは教室までご案内しますね」
エリは恥ずかしげな微笑を浮かべ、裕人を学校内へと導いた。

女子校敷地内に踏み込み、廊下へと入っていく。廊下に残っている女の子の突き刺すような視線が裕人に集まった。ひそひそ話ししながら警戒の目を向ける者、好奇の目を向ける者、それから目をきらきらさせて見る者。
いずれにしても、かつて経験したことのない痛々しさだった。
しばらくしてある教室に案内された。2年紫陽花組とプレートに掲げられていた。
「こちらで美夏がまっています。どうぞ」
エリがドアを開けて、丁寧に裕人を促した。
「ああ……」
裕人は廊下に集る痛い視線から逃れるように、教室に入った。
途端、黄色い声の合唱が向けられた。裕人は思わず手を上げて自分の身を守ろうとしてしまった。
教室の女の子たちが、下校せずに待っていたのだ。何十とわからない女の子の視線が、遠慮なく裕人に向けられた。
「みんなお待たせ。この人が噂のお兄さん。綾瀬裕人でーす」
教室のほぼ中央あたりで、美香が首謀者よろしく立っていた。
教室中が再び黄色い合唱で包まれ、拍手が湧き起こった。
「な、なんだ? いったい何が……」
裕人はいまだに、その身に降りかかった事態を把握できなかった。
美夏はそんな裕人の手を引き、教壇の横に椅子を置いて座らせた。ほぼ、というか間違いなく晒し状態だ。
「おほん。それでは改めて、これが本物のお兄さん。綾瀬裕人でーす」
美香が改まった調子で紹介した。
女の子たちが裕人を取り囲むように集ってきた。拍手喝采の大騒ぎに、携帯で写真や動画を撮る女の子もいた。
「美夏、まさか俺を見世物にするために呼んだんじゃ……」
すでに珍獣の扱いだ。裕人は視線でぼろぼろになるような気分で美香を睨み付けた。
「違うよ。自慢するために呼んだの」
「なんだ、そりゃ」
「まあ、それはそれとして、本当はちょっと見てもらいたいものがあるんだ。それはあとあと」
ここで美夏は裕人との話を打ち切り、改めて自分たちを取り囲む女の子たちを振り向いた。
「えっと、お兄さんは白城学園の2年1組。成績は中の中。特技は料理。血液型は
O型。好きな色は青。初恋は6歳のとき。相手はお姉さんのお友達」
美香が裕人のプロフィールを1つ諳んじるたびに女の子たちから声が上がり、その声は確実に勢いを強めていった。
「なんでそんなことまで知ってるんだ。ん? メモってどうするんだそんなこと」
気付くと、メモ用紙や携帯電話に聞いた内容を必死な顔で写し取っている女の子たちがいた。
女の子の一人が手を挙げた。
「あ、あの、お兄さんが共学に通っているそうですが、その、やはり殿方同士の恋愛などが盛んなんでしょうか」
おずおずと、しかし驚くほど大胆な質問だった。
「い、いや、普通に男女の恋愛が多いと思うけど……」
今時の中学生って……。
「あ、あの……」
別の女の子が手を上げた。
全員が沈黙し、その女の子を注目した。女の子は何も言わず、裕人の前に進み出た。
「え〜っと……。えい!」
女の子はしばらく躊躇っていたが、意を決したように裕人の頬につんと指で触れた。
「わあー触ってしまいました!」
「わあ、ずるいですわ!」
「私も!」
大騒ぎだった。ダム決壊の奔流のごとく女の子が押し寄せてきた。女の子たちが我も我もと手を伸ばし、裕人の全身に触れた。その勢いはとどまらず、ついに裕人自身を押し倒してしまった。
裕人は背中の衝撃に、一瞬クラクラとした。その後で、腰に重さを感じてはっと顔を上げた。紺のスカートと紺のズボンに挟まれたそこに、白く花咲くパンティが見えた。
女の子も倒れてしまったショックからようやく戻って、あっと頬を恥じらいの色に染めた。
「はいはい、そこまで。今日はもうおしまい! ほらお兄さん行くよ!」
美夏は機嫌を悪くしたカンダタのごとく打ち切ると、裕人の腕を掴んで教室から出て行った。

美夏は学校内ではすこぶる評判がいいようだった。廊下を歩いているだけで下級生たちが丁寧に挨拶する。
それだけでなく、学院初の1年生で生徒会長就任し、2年になった今も2期連続で生徒会長を続けていた。生徒たちからも教師たちからも信頼厚い人物のようだった。
そうして、裕人はある部屋へと案内された。
「じゃじゃーん。ここが私たちの、『現代舞台芸術文化研究部』の部室だよ」
案内された部屋は、広々とした空間にソファセットが置かれ、右手空間に本格的な舞台、照明セットなど必要なものがすべてそこにあった。
「現代舞台って?」
裕人はきょとんとして訊ねた。
「具体的には劇場でやっている舞台とか演劇を見に行ったり、自分たちで演技したり」
「それって、演劇部じゃないのか?」
違いがわからず、質問を重ねた。
「ぜんぜん違うよ。演劇部は演劇部。家は家なんだから」
美夏は一緒にしないでよ、と言いたげな様子だった。
裕人は結局何もわからないまま、ただ「はあ……」と相槌を打つだけだった。
それはそれとして、今日わざわざ女子校まで引きこんだのは、自作の演劇を見て欲しいからだった。もうすぐ本格的な公演があるらしい。それまでに、一度客観的な視点が欲しかった、ということだった。
タイトルは『マジカル堕天使すうぃ〜と美夏ちゃん』。脚本家は《MikaNogizaka》だった。
さっそく女の子たちが衣装に着替えて演技を始めた。悪の何者かが登場し、悪さをしているところに正義のヒーローである美香が登場する。お話自体はどこにでもあるような変身ヒーローもののそれだった。
演劇が終わり、裕人は素直な拍手を送った。技術的な良し悪しはわからないけど、単純に楽しめた、と感想を告げた。
しかし自分の演技に納得いかないエリが、裕人に模範演技を見せて欲しいと懇願する。男の子がどんな感情を持って演劇にあるような状況に接するのか、それが知りたいという。
裕人は演劇なんて無理だ、というが、女の子たちに押し切られて舞台に上がることとなってしまった。
「ま、待てよ美夏」
裕人は台本を片手に不器用な棒読み演技をする。
「お、お兄ちゃん」
さっきまで美夏が着ていた衣装でエリが振り返った。
「ひ、ひどいじゃないか。黙って言っちゃうなんて。そんなのってないよ」
台本とエリを交互に見ながら、必死で台詞を追いかける。
「だって、会ったらきっと帰れなくなるから」
エリの力強く凛とした声が辺り一杯に響く。日常の声ではなく、演劇用の声だった。
「俺、ようやくわかったんだ。本当に好きなのは誰なのか。俺はずっと美香のことが……」
裕人はここまで台詞を続けて詰まってしまった。
明らかに美香の手書きで、ト書きが書かれていたのだが――、
『美香を優しく抱き寄せる。二人は見つめあい、どちらともなく顔を寄せて行き、キスを交わす』
これをするのか、と裕人は美香に視線を送った。美夏は慌ててNGサインを出した。
裕人もさすがにこれは、と身を引こうとした。
しかし目の前に、真剣な顔で演技に打ち込んでいるエリがいた。
裕人はエリに応えようとした。エリの腕を掴み、自分の体に押し付けんばかりに引き寄せた。
「美夏……」
相手の名をささやきながら、ゆっくりと胸を密着させ、次に顔を近付け、さらに目を閉じて唇を近づける――。
その時、突然校内放送が鳴った。裕人ははっと現実に戻って放送に耳を済ませた。
「生徒会長の乃木坂美夏さん。教頭先生がお呼びです。至急職員室までお願いします」
「あ、私だ。何だろう。ちょっと行ってくるね」
美夏は残っている一同を気にしながら、部室を走って出て行った。
もうすぐ5時を回ろうとする頃、ようやく美夏は部室に戻ってきた。だが、他の女の子たちはみんな帰った後で、残っていたのは裕人ただ一人だった。
美夏は裕人の2人で舞台周りの後片付けをした。それがようやく済んだ頃、廊下に足音がした。
「まだ誰かいるのですか」
女教師の声だ。
「やば! 兄さん、隠れて!」
美夏はロッカーに裕人を押し込んで、自分も一緒に入って蓋を閉じた。
「誰ですか?」
ドアを開ける音がした。部室の中にいる誰かを探ろうと入ってくる。ロッカーの中で、その気配を感じた。
「ちょっと兄さん、いま足踏んだよ」
美香が裕人の耳元でひそひそと避難した。
「そんなこと言われても……」
狭いロッカーの中で、裕人と美夏は体をぴったり密着させていた。足元などは4本の足がからまってどこに互いの足があるかなんてわからない状態だった。
「あ、変なとこさわらないで」
美香が急に上擦った声をあげて体をひくりと引き攣らせた。
「事故だ……」
弁明する気になれなかった。
「あっ。……何か硬いものがお腹に当たって……お兄さん、まさか……」
美香が言葉に神妙なものを混じらせて裕人に追求した。
「ち、違う。それはベルトだ。ヘンなものじゃない」
裕人はもぞもぞと腰を美香から離そうとした。
「ヘンなもの? 携帯とかじゃないの?」
しかし美夏は、きょとんとして言葉を返した。
「い、いや……」
自分の早合点だったらしい。裕人はごまかしの言葉を探った。
やがて、気のせいかしら、と女教師は諦めたようだった。部室の明かりを消し、ドアを閉じる。
ようやくロッカーを開けて裕人と美夏は外に出た。
「何とかやり過ごしたな」
裕人は密着の緊張から解放され、ほっと息をついた。
が、美夏はあっと声をあげた。
「そんな場合じゃないよ。先生、外から鍵かけて行っちゃった!」
「ええ!」
美夏は慌ててドアノブをつかんだ。しかしいくら捻ってもドアは完全にロックされていた。ここは4階だから窓から出るわけには行かない。携帯電話で助けを呼ぼうにも圏外だった。
「まあ、何とかなるだろう。いざとなったらドアをぶち破ればいいさ。心配するなって」
裕人は美香の頭に手を置き、宥めるように言った。
「お兄さん、落ち着いているね。何かおとな〜って感じ」
美夏は尊敬の目で裕人を見上げた。
「そうか?」
「そうだよ。さっきのお芝居だって、私はすっごいドキドキしてたのに、お兄さんは平気な顔であんなことを……」
美夏は必死になって身を乗り出させた。
「ち、違うぞそれは。俺だってめちゃくちゃドキドキしてたぞ」
裕人は首を振って否定した。
「そんなふうに見えなかったもん。……それに、今だってこんな可愛い子と2人きりなのに、ぜんぜん落ち着いているし」
美夏は急に落ち着いた声で、恥ずかしそうに視線を落とした。
「そ、そう言われても……」
苦笑いしか出てこなかった。
「ほらほら〜、ドキドキしない? いたいけで儚げな美少女と、夜の校舎で2人きりだよ〜」
美夏は言葉とは裏腹に、からかう調子で裕人に迫ってきた。
「誰だよ、いたいけで儚げって?」
痛々しい、と言いかけて何とか言葉を押し込んだ。
「むう。じゃあ、こんなのはどう? うっふ〜ん」
美香がちょっとスカートの裾をつかみ、もう一方の手を頭の後ろに回した。どうやらセクシーポーズのつもりらしい。
「・・・・・・・・・・・・」
コメントの言葉もなかった。
「じゃあ、これなら? うっふ〜ん」
美夏はめげずに四つん這いになり、セクシーポーズのつもりらしい表情を作った。
「・・・・・・。もういいから」
ますます痛々しいだけで溜息が漏れた。
「これは屈辱だよ! こうなったら最後の手段! てえい!」
美香が突然飛びついた。裕人は地面に押し倒された。
「何するんだよ!」
裕人は声をあげて顔を上げる。
するとそこに、馬乗りになって自分を見下ろしている美香がいた。
「美夏、何を……」
美夏はまるで酔ったように息を喘がせ、目に切なげな涙を溜めていた。さっきまでと明らかに様子が違う。裕人はそんな美香の様子に、いくらかの動揺を感じた。
「お兄さんがどうしても私を意識してくれないから、最終手段だよ。お、お母さんも言ってたもん。こういうときは黙って押し倒しちゃいなさいって……」
美香の声が熱っぽく擦れた。
だが、裕人はむしろ呆れていた。秋穂さん、なんて教育を……。
「ど、どう? ドキドキしている?」
美香がお尻をするすると裕人の腰を擦り付けてきた。幼く小さな腰が、意外な生々しさを持って裕人の腰の上で踊った。
「え!」
裕人は思わず声を上げた。幼いばかりと思っていた美香に、思いがけず異性を意識している自分に気付いた。
「……私はこんなにドキドキして一杯一杯なのに、お兄さんだけが何ともないなんて、そんなのずるいよ。だから、だから、お兄さんもドキドキさせてやるって決めたの。寝ても醒めても、私のことが忘れられないくらいに、お兄さんが私で一杯になるように……み、みっかみかにしてあげるんだから」
美夏は裕人に顔を近付け、妙に熱を持った声で囁いた。
「あ、あの……」
裕人は自分の体内に熱っぽくなるものを感じていた。美香の顔が夕暮れの光に淡く浮かんでいる。美夏が間近に迫り、甘ったるい香りが体一杯に巡ってくるようだった。ぼんやりとした曖昧な光のせいか、美香が際立って美しい、成熟した女性の顔に思えた。
「お兄……裕人さん」
美夏は少し躊躇って、「裕人さん」とはっきり告げた。
そうして、目を閉じてゆっくりと迫った。
「えっと、いい雰囲気のところ申し訳ありませんが……」
声がした。美夏ははっと我にかえって、裕人から飛び退いた。
裕人も体を起こし、声がした方向を振り返った。
部室のドアが開き、桜坂那波、桜坂葉月、アリスとメイドの3人が並んで立ち、その顔を懐中電灯の明かりで照らしていた。
「なななな、何でここに?」
美香があからさまに動揺した声をあげた。
懐中電灯の明かりが消えて、七城のライトだけが残った。
「はい。夕食の時間になっても美夏様がお帰りにならないので、様子を見に参りました」
次に、桜坂のライトが点いた。
「私は買い物のついでにネルソン君のお散歩に」
と言う桜坂の腕にはぬいぐるみのようなアライグマがいた。
「あの〜もしかして私たち、お邪魔でしたか?」
また桜坂のライトが消えて、七城のライトが点いた。
「あうあうあうあう」
美夏は反論しようとしたが、まともな言葉にならないようだった。
「それでしたら、私たちのことは気になさらず、どうぞ続きをやってくださいな。美香様の思うまま、みっかみかにしてさしあげてくださいませ〜」
「み、み、みゃ〜!」
美夏は言葉にならない感情を吐き出すように声をあげた。

メイドたち3人と一緒に美夏と裕人は学校を後にした。
「もう、七城さんなんか知らない!」
美夏は不機嫌そうに声をあげていた。
「あらら、申し訳ありません。一応ノックはしたのですが……」
七城は悪びれた様子もなく、むしろ楽しげだった。
「ちょうど美香様はみっかみかに夢中でしたので」
桜坂は生真面目な声で、それでいて確実に美香をからかっていた。
「むぎゃー!」
美香が両手を振り上げた。
「そう怒るなって。助けに来てくれたんだから」
裕人が宥めるように言った。
「もう、人事だとおもって! じゃあ、お兄さん、乙女に恥を掻かせた罰として家まで抱っこして」
「は?」
「ほらほら早く」
美夏は強引に裕人に飛びつき、その首に手を回した。
「まったく、ほら」
裕人は足をとめ、身をかがめて美香の足に手を回すと、よっとその体を持ち上げた。
「えへへ、お姫様抱っこ」
美夏は嬉しそうに微笑んだ。裕人は美香のワガママにあきれて溜め息を落とした。
しばらく歩いていると、美香が裕人の耳に囁きかけた。
「私、まだ諦めたわけじゃないんだからね。いつかきっと、本当に私のスーパーでグレートな魅力で骨の髄までみっかみかにしてあげるんだから。覚悟しといてね、お兄さん」
美夏は本気とも冗談ともわからない調子で、裕人に微笑みかけた。
作品データ
監督:名和宗則 原作:五十嵐雄策
キャラクター原案:しゃあ キャラクターデザイン:石野聡
シリーズ構成・脚本:玉井☆豪 総作画監督:石野聡 浜津武広 石川雅一
カラーコーディネート:海鋒重信 美術監督:春日礼児
撮影監督:中西康祐 編集:小島俊彦
音響監督:岩浪美和 音楽:渡辺剛
アニメーション制作:ディオメディア
出演:能登麻美子 羽多野渉 後藤麻衣 佐藤利奈
清水香里 植田佳奈 松来未祐 生天目仁美
釘宮理恵 高木礼子 宮下栄治 大須賀純
安元洋貴 立木文彦 久川綾 日笠陽子
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